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TOP MESSAGE

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あなたのエゴが世の中をより良いものに変えていく。

I WILL NOT COMPLAIN.に生きよう。

英国・スペインなど欧州での大学留学時代、1989年11月9日ベルリンの壁崩壊に知人とともに参画し、現場にあった「切り開く」というチカラの美しさを知る。意気揚々と壁のカケラを持ち帰ったが、途中突如として虚しくなり、近くの川へ投げ捨てた。変革の当事者であれ、と悟った。

1995年、創業者アントニーウィロビーの意志に共感しIWNC(I Will Not Complain)に入社。4年後の1999年、日本法人の代表に就任する。2007年にシンガポール・マレーシア・中国・香港の拠点を持つアジア全域へ幅広く展開しグループ統括代表になると、自ら単身にて住処(拠点)を成長市場の象徴である北京に置き、アジア全域で躍動するボーングローバル企業や、スタートアップ起業家からのインスピレーションを肌で吸収。グローバルで勝つ組織のリーダーシップ開発、イントレリーダーシップのメソッドを溜め込み、2000年代初頭のIPOトレンドを牽引した数々の経営者パートナーとして上場支援に深く携わる。「人材で勝つ」の切り口・視点から付加価値を生み出し、ステージアップする動力を人材価値の集積から可視化した。

石川 博久

代表取締役 社長

SAYINGS

正義はどこにあるか。

組織の中でいちばん依存症になりやすいのは、実は経営者だったりする。
株主、顧客、従業員、ありとあらゆるステークホルダーの声に向き合いながら、
なんとか最適解を探そうとする。けれど、それでは前に進めない。

大事なのは正義なんです。
経営者の中にあるゆずれない正義だけが周りを導く力となる。
本物のリーダーはかならず己の正義を知っている。

その正義を引っ張り出すのが僕らの役割。
感情が揺れるところの裏側にその人の正義が隠れている。
だから、感情の針が大きくふれる場所を僕らは探していく。

ときにはあえて怒りを買うことも厭わない。
痛みを伴わないのなら、それは本物の正義じゃないから。

自己への尊厳と社会。

人間は尊厳というものを知ってしまった唯一の生き物。

何のために生きるのか、どう生きたいのか。
人がそのことに悩むのは、
自己への尊厳をより良い未来に役立てたいと願うからだ。
それは実に自然な人間の姿だと思うのです。

人の尊厳を引き出すことを僕らは生業にしてきた。
着飾ったものを捨てて本質だけに集中すれば、
その人が発する言葉が果たして本物かどうかが見えてくる。
自己への尊厳から溢れ出た言葉は、
かならず社会とのリンケージがあるものだから。

奪うではなく、感じあう時代。

かつて、
賢い人が賢くない人から搾取し、
強い者が弱い者から奪うという営みが
経済を回していた時代があった。

今は共感の時代。
ルールが変わった。

自分がこうしたいと思っても、
相手が感じてくれなければ、物事が成立しない。

だから、
正しいことをやろうと人たちは成功するし、
うまくやって搾取しようとする人たちは、それなりのしっぺ返しを食らう。

時代が整ってきたと思いませんか。

地球が悲鳴を上げている。

地球が38億年かけて蓄積してきた資源を
人間はたった150年ほどで食い尽くそうとしている。
このままでは2050年には、
陸地の三分の一は海に沈んでしまうという。
これほどのファクトを前にして何を迷うのか。
何が正しいのかは至ってシンプルじゃないか。

地球と共生できない限り、もう人の営みは成立しない。
そこにビジネスがラップしていくのは至極当然のこと。

幸せのカタチは自分で決める。

勝つか負けるかを競い合っていた時代。
将棋のように相手の弱点を上手に攻める人が
尊敬を集め、ベンチマークされていた。

でも、そんな時代はとっくに終わった。

今は自分の幸せを自分で決められる。
どうすれば幸せになれるかを自分で考えて、
まっすぐにその道を歩いていける。

誰かと比較しなくてもいいし、
不安に駆られながら生きていく必要もない。
応援してくれる人は必ずいる。

素晴らしい時代になった。
今を生きていることに僕は感謝している。

頭と心と腹。

頭は論理。賢さを司る。
心は倫理。正しさを司る。
腹は真理。エネルギーを司る。

何かをやろうとするときに、
なんか違うなと感じるなら、
その違和感は最初に腹の中に生じる。

多くの人は頭で考えたことをどう腹に落とすかに悩む。
でも本当は逆じゃないか。
腹で生まれた思いを、どうやって頭につなげていくか。
そっちの方がより本質的だと思うのです。

あ、この人いいなと思える人は、
吐く言葉が心と腹に繋がっている。

頭と心と腹が分離している人はすぐわかる。
本当はそう思ってないだろうな、誰かに言わされているな、
カッコつけているな、そんな違和感を感じてしまう。

まるでスターウォーズのダースベイダーのように、
仮面の下からスーハースーハーと苦しい息が聞こえる。

そういえばダースベーダーもまた、
頭と心と腹がバラバラのまま生きねばならなかった人。
彼の哀しさはそこにある。

マサイ族にはルールがない。

僕が尊敬するマサイの人たちにはルールがありません。
そもそも書いているものがない。経典もない。

大事なことはジャンプしながら歌い伝えていく。
誰でもできるシンプルでわかりやすい方法を彼らは選んだ。

村の人たちを大切にすること。
身体が弱い人や子供たちを助けること。
みんなで共に暮らし、共に食べよう。
食料がなくなったらみんなで協力しよう。
どんな苦難にも勇気を持って立ち向かおう。

そんなことを歌にして次の世代に伝えていく。

毎日ジャンプしながら歌っていると
大切なことが自然と身に沁み込んでいく。
大人も子供もみんなで「思い」を共有できる。

最初にあるのはルールじゃない、「思い」なんです。
それこそが本物の文化だろうと僕は思う。

翻って考えると日本の組織はルールが多い。
僕らはルールありきの社会に慣れてしまった。
それはもしかしたら、危険なことかもしれない。

ルールばかりがどんどん増えて
いつのまにか「思い」が霞んでしまった。

「思い」でつながれば、ルールなんて最小限でいい。
ルールがない社会、ルールがない企業。
そっちの方が健全で本質的だと、僕は思う。

パーパスという幻想。

パーパスという言葉がもてはやされている。
入社説明会でも、株主総会でも、月曜の朝礼でも、
必ず「当社のパーパスは・・・」という話になる。

志や大義を言葉にする、それはとても良いことだ。

でもちょっと待ってほしい。
あなた自身のパーパスはどこにあるの?

個人のパーパスと組織のパーパス、
そのリンケージの中からしか意味も力も生まれない。

会社や組織というものを擬人化して、
あたかも意志があるように見せるのは幻想に過ぎない。

あなた自身のパーパスを持つことで、
初めて組織のパーパスに共感できる。
そのとき組織のパーパスが自分ごとなる。

一人称で語れなければパーパスには何の意味もない。
幻想に身を委ねても、なにも生まれはしないのだから。

自分のエゴに貪欲であれ。

人は誰でもいつか死ぬ。
お金持ちになろうが、偉い人になろうが、
必ずこの世から消えてなくなる。

それなのに生きて何かを成そうとする。
自分が生きた証をつくろうともがく。
これはもうエゴ以外の何ものでもない。

いずれ消えていくとわかっていながら、
それでも何かを成したいというエゴの本質は、
いなくなった後の世の中が少でもよくあってほしいと願う
人間としての切なる祈りではないだろうか。

そうであるならば、人はもっと自分のエゴに貪欲であっていい。
生きている、ということにもっと精一杯に向き合っていい。
他人や組織のせいにして立ち止まるのはもったいない。

あなたのエゴを前に進む力に変えていけばいい。

やり甲斐とやった甲斐。

「やり甲斐」のあとに、「やった甲斐」がやってくる。
それが正しい順序だと思う。

こうしたいという思いがあって、
チャレンジすると「やり甲斐」が生まれる。
その結果に対価として「やった甲斐」がついてくる。
そのループを続けることでやがて「生き甲斐」に昇華する。

ところが、反対のループにはまった人たちもいる。
「やり甲斐」を持っていない人たちが、
「やった甲斐」を求めるのは自分を身売りすることに等しい。

「これだけ時間を費やしているのだから、もっと評価してくれ」
そう思った瞬間にすでに搾取の罠に落ちている。
そんなループからは一刻も早く抜け出した方がいい。

人材が流動化する時代。

クリエイティビティだとか、発想だとか、
繋ぐ力だとか、個で切り拓く力だとか、
そういうものが重要視されている今の時代、
人材が流動化するのは当然のこと。

人が動くことで世の中が活性化する。
チャレンジする人が増えるほどに、能力の適材適所が進む。
そこにネガティブな要素は一つもない。

かつて日本の社会にあった、
他人のチャレンジに対する嫉妬はなくなり、
逆にリスペクトが増えてきた。

本当に変わってきたなと感じています。

日本から生まれたリーダーたち。

僕らは年間1500人から2000人のリーダー候補たちと出会う。
僕たちと触れあった後、
彼らは世界中のさまざまな場所にアサインメントされる。

海外のトップをやってくれ。
グローバルの責任者になってくれ。
そういう人たちがこの3年でものすごく増えた。

今、世界における日本のプレゼンスは急激にシュリンクし、
それが株価や為替に影響していると言われている。

でも、視点をミクロに落とせば、
世界のあちらこちらで活躍している日本の若きリーダーたちの姿が目に入る。

彼らの活躍のおかげで世界のマーケットのいろんな場所で
日本企業のプレゼンスは間違いなく高まっている。

元々日本にあった良さ、真・善・美をしっかりと持ったリーダーたちが、
自らの軸をみつけ、海外に出てたくましさを身につけている。
その姿は本当にたのもしい。

彼らこそがこの国の希望だ。僕はそう思っている。

時間は未来からやってくる。

「1万時間の法則」というものがあるらしい。
ある分野で一流のスキルを身につけて成功するには、
1万時間の練習や努力が必要だという。

1日3時間として10年間。
あのモーツァルトやビル・ゲイツにも、
成功を獲得するまでに1万時間の下積みがあったそうだ。

この法則が正しいかどうかは知らないが、
少なくともリーダー育成に関しては当てはまらない。

数年前のあるセッションでのこと。
「自分は海外では通用しない」と思い込んでいる人がいた。
最終日、彼は自分で自分のスイッチをいれた。
その瞬間に彼の未来が変わった。

今、彼は海外のリージョンで大活躍をしている。
あのセッションは今ではもう笑い話となった。

そんな人たちを数えきれないほど見てきた。
時間は過去からの連続の上にあるものではない。
今という時間は常に未来からしかやってこない。

たった今この瞬間から自分の力で未来を変えられる。
ここだというときに、自分の間で舵を切ることができる。
リーダーとはその力を持つ人のことをいう。

正義と少しのインテリジェンス。

コロナ禍の数年の間に、
当社のクライアントのファミリー企業(同族企業)においても
実にたくさんの世代交代が行われた。

新しい経営者は40代が多く、中には30代の若い経営者もいる。
彼らの共通点は、世の中を良くしたいという気概を持っていること。
そして、win-loseの時代が終わったことをチャンスだと捉えていること。

自分たちができる社会における正義とはなにか。
どうすれば顧客やパートナー企業との共利共生を築けるか。
熱を込めて話す彼らとのセッションは実に有意義で楽しい。

コモディティ化した市場にユニークな独自の価値を持ち込もうとする人。
先代たちが思いもしなかった新しい流通チャネルを開拓しようと挑む人。

正義と少しのインテリジェンスを糧に彼らは歩んでいく。
その足取りは実に軽やかで小気味良い。

大企業の底力。

この30年、日本の大企業はずっと苦しんできた。
平成元年には時価総額で世界トップ50社のうち実に32社が日本企業だった。
今はわずかにトヨタ1社。

凋落の理由はイノベーションを生み出せなかったことに尽きる。

ベンチャー企業ならできるけど、大企業はできないよね。
図体がでかい企業は変われないよね。そう言われ続けてきた。

けれど、これから大企業の逆襲が始まると僕は思っている。

確かに大きな船は時代の曲がり角を上手く曲がれなかった。
でも、ここからが底力を見せるとき。

大きいことがマイナスではなく、メリットになっていく。

何万人もいる社員が一人ひとり自分の軸に気づき、
主体的に生きて、その知恵を結集できたなら、
大きな企業の方が強いに決まっている。

今さらパーパスなんていわれなくても、
歴史の中で培ってきたカルチャーがある。

新しいリーダーたちも確実に育っている。
近い将来、また日本の大企業が輝く時代がくる。
僕はそう確信している。

逆境はチャンス。

良いエネルギーは、
良いエネルギーを持った人に伝播し、
良いエネルギーが周囲に充満していく。

逆も然り。

逆境のときにこそリーダーとしての力がつく。

悪い流れを自分で非連続に変えて、前向きに持っていけるか。
自らの中から良いエネルギーを出して、
チームを良いエネルギーで満たすことができるか。
その力が試されるから。

断ち切る力。

結局のところ僕らが30年以上前からやってきたことは、
自分の強さと良さを知って、自分が何をしたいのかを知ったら、
それに向かってもがいてみたらどうですかって伝えているだけのこと。

そんな人が増えたらいいよね、そんな世の中の方がいいよねって、
最近そんな人たちが増えてきたように思う。

ただひとつ、うまくやるにはちょっとしたコツがある。
それは過去からの連続性を断ち切ること。

自分を取り巻くしがらみやステータスといった、
積み上げてきた石垣を一旦壊さないといけない。
その勇気を持たなければいけない。

20年間頑張ってやっと手に入れたポジションを手放すのは怖い。
でもそこにしがみついている限り、何もかわらない。
逆に言えば若い人たちの強みはしがみつく荷物が少ないこと。

3つの循環。

感じること、気づくこと、行動に移すこと。
この3つの繰り返しの中でしか人は学べない。

「自分の人生の年表をつくる」というプログラムがある。

あなたの人生で一番印象に残っていることは?と聞くと、
誰もが必ずこの3つの循環を経験した出来事を挙げる。
それは自分自身で成長をつかみ取った経験だから。

組織が命令してこれを学びなさいというプログラムは、
実は何も学べない。覚えて、忘れる、を繰り返すだけ。

感じる、気づく、行動する。
この3つの循環が生まれる環境を与えることでしか学びは成立しない。

僕らは30年以上愚直にそれだけをやってきた。
そのことを「教えない研修です」なんて嘯いてきた。

覚悟の共有。

たとえば20人の経営者候補の人たちがいて、
全員を鍛えてくださいとオーダーされたとしても、
20人みんなが良くなるプログラムは存在しません。

1人か2人はひょっとすると覚醒するかもしれないし、
そうならないかもしれません。
それでもいいですか?と僕らは正直にお伝えする。

「それで結構です」と言ってくださる人がいて、
覚悟を共有しながら現場に立つ。だからこそ僕らは全力を注げる。

そして、逆説的な言い方ですが、
その舞台が整ったときにはほぼ成果は見えているんです。

終わりが始まりになる瞬間。

誰かひとりでも覚醒が起きると、
プログラムが終わったときがスタート地点になる。

よし、これをちょっと試してみようじゃないか、
みんなでやろうぜって、こういう動きが生まれたら、
あっという間に成果につながる。

組織によってはすぐに数千億の価値につながる。
真のリーダーが生まれるってそういうことなんです。
もう予想をはるかに超えていくもの。

だから僕らは「成果を約束します」なんて言わない。
予想できてしまう成果なんてつまらないから。