質疑応答
質問⑧:このプログラムは「美しい出口戦略」になり得るのか?
ゲスト:
会社としてこのプログラムに投資する意義は何か—と考えたとき、これは「とても美しい出口戦略」になるのではないかと感じました。
一般的な研修では、「行動変容が起こるのが20%」「継続できるのがそのうちの20%」とも言われます。つまり、100人のうち本当に変容し続けるのはわずか4人ほどということになります。
このプログラムによって「内発的動機付け」がなされたとしても、それを社内で継続できる環境がなければ、結局アウトプットにはつながらない。
ですから、社内アサインメントとその後の「継続支援の仕組み」がセットになっていなければ、投資対効果を得るのは難しいと思います。また、ベテラン層では、「上司との相性」が影響してモチベーションが下がってしまうケースも多くあり、少し配置を変えるだけで、再び輝きを取り戻すこともある。
だからこそ、このプログラムを4%の人材には「動機付け+適切な配置転換」を提供するもので、それ以外の人に対しては「美しい出口戦略」として捉えた方が現実的に機能しそうだと思って見ていました。

Hiro
ありがとうございます。非常に適切なご指摘だと思います。理想を言えば、社内で継続的な変化が生まれ、良い上司とのマッチングも実現することがベストです。ですが、現実的には、社内のしがらみやプライドなどが邪魔をして、思うように動けない・受け入れられないというケースも少なくありません。
そういったときにこそ、外部のプログラムを活用することが突破口になるのではないかと思って、今回の構想を考えました。
今後のアサインメントについても、やはり最も効果的なのは「本人に自ら描かせること」だと思っています。自分の未来や役割を「自分で設計する「ことで、初めて納得感のある行動に繋がる。だからこそ、「変わる前に描く」ことが何よりも重要だと考えています。
その点についても、ぜひまたご意見をいただけるとうれしいです。
質問⑨:出世競争から外れた人をどうケアすべきか。
ゲスト:
コンセプト全体として非常に理にかなっていると感じています。特に重要だと思ったのは、「出世競争」を軸にキャリアを築いてきた人たちに対して、その競争から外れた瞬間に自己否定に陥ってしまう構造です。中にはその失望が怒りとなって、会社に対する不満や恨みに転じてしまう人もいて……そのあたり、どうケアしていくべきか、非常に悩んでいます。

Hiro
おっしゃる通り、日本社会には「比較」を基盤とした文化が深く根付いています。
資本主義的な構造の中で、「勝者」と「敗者」を明確に分け、敗れた側に陰の感情が生まれてしまう構造は、特に営業などの現場では顕著だったと思います。
その結果、負けたことで嫉妬が生まれたり、「足を引っ張ってやろう」という負の感情が芽生えることもあります。忘れてしまえばいいことでも、忘れられずに苦しむ――そんな状態ですね。
そうした状態から抜け出すヒントとして、私は以前お話しした「馬」の存在を重ね合わせています。馬は、嫉妬も計算もない存在です。ただその瞬間の「あなた」を感じ取り、素直に近づくか、離れるかを選ぶ。
このような無条件の受容に触れることで、自分の内面を見つめ直すプロセスが始まります。すべての人に当てはまるとは言いませんが、こうした「他者を通じた自己承認」の体験は、競争社会の中で擦り減った自己像を回復させる一つのアプローチになりうると、私は考えています。そのあたり、ロージー補足してくれない?

ロージー
ロージーと申します。私は馬が好きで、もう10年以上前ですが、乗馬競技に取り組んでいた時期がありました。ロージーという名前は愛馬の名前からもらったんです。
馬という動物は、期待を持って人間に寄り添ってくれる力を持っています。専門家の方からも聞いたのですが、馬はミラーニューロンが非常に発達していて、人間の「こうありたい」という想いを感知する能力があるそうです。
馬は、嘘を見抜くような存在でもあります。だからこそ、言葉にできない感情や願望を自然な形で翻訳してくれるパートナーになれる。
特に、自己認識や自己表現が苦手なシニア層にとっては、新たな刺激と深い承認を得る手段になると思います。

Hiro
馬に限らずさまざまな「他者」との関係の中で承認は得られますが、無条件に向き合ってくれる存在と出会うことのインパクトは大きいですね。
特に大切なのは、「自分をもう一度見つめ直す」「許してあげる」「新しいパスを切り拓く」ための環境づくりです。
企業という枠組みの中にずっといた人が、ヒエラルキーから一度抜け出さない限り、本質的な転換は起きづらいと感じています。
その意味でも、Reigniteのような「枠の外」のプログラムは、一人ひとりが再起動するための「はじめの一歩「になれるのではと考えています。

質問⑩:本当に成果につながるのか?社内承認が先ではないのか?
ゲスト:
ゲートⅠで語られていた「承認」の考え方、理屈としては非常に納得感があります。ただ正直なところ、「社内に対してすでにネガティブになってしまっている人」が、このプロセスで本当に変われるのか——そこには少し懐疑的な気持ちを持っています。
むしろ、そうした方々こそ、社内での承認体験が欠けているからこそ卑屈になってしまっているのではないかと。そうであれば、社外のプログラムで変化を起こす前に、社内でどこまで承認できるかも重要ではないかと感じました。

Hiro
とても鋭いご指摘です。まさにその通りで、だからこそ私は「一度、お試しでやってみること」に大きな意味があると考えています。
結局のところ、最終的な承認とは「自己承認」でしかないと思うんです。他人の物差しだけでは、自分の人生の納得には至らない。だからこそ、自分自身に矢印を向ける力が必要です。そしてそのためには、一度会社や既存のステークホルダーから自分を切り離して、自分と深く向き合う時間が欠かせません。
ただ、ここで重要なのは、それを「つらく深刻にやる」のではなく、「ピュア「な気持ちで自分を見つめ直す体験にすることです。
たとえば、馬とのふれあいや災害復興の現場など、他者や自然との疑似体験を通じて、自分の「本質的な反応」を観察する。「なぜ自分は人を助けたくなるのか?」「なぜ黙って傍観してしまうのか?」——そうした気づきの積み重ねが、自己承認のきっかけになると考えています。
そして、ただ体験して終わるのではなく、それをグループ内で共有・内省する時間が必要です。その対話の中で、他者の視点からも自分が照らされていくことで、「他者からの承認」と「自分による承認」が繋がっていく。
このプロセスがあることで、はじめて「自分のピュアな部分」が輪郭を持ち、それを「これからの人生のど真ん中に据える」という覚悟につながっていくのだと思います。
ちなみに「自分」という字は、「自らを分ける「と書きますよね。つまり、自分の内側から見ている自分と、他人から見られている自分を分けて考える。その両方の視点を行き来できるようになることが、「自分を見る力」=自己認識力を育てるうえで非常に重要だと思っています。
質問⑪:「手を挙げる人」をどう見極めるか?
ゲスト:
「もう少しで動き出しそうな人たちに、どう「声をかけるか」という仕組みづくりが鍵になると感じました。全員が対象というわけにはいかない。だからこそ、「会社からの声かけ」と「本人からの自発的な手挙げ」の両輪が必要だと思います。
たとえば、「会社で働き続けたい」と考える人には、「じゃあどう貢献してくれますか?」と問えるような選択肢も設計しておく。逆に、「何かやりたいなら、自分で提案してみてよ」というような、プレゼン機会と承認を紐づける形もアリだと思います。
こうすることで、会社としても「一部は支援するけれど、その分しっかりやってね」というコストと期待のバランスを取った設計ができる。その際に、本人が社内で仲間を見つけられるような「コミュニティ」の存在があれば、さらに機能しやすくなるかもしれません。
また、たとえ取り組みの内容が直接的に会社に関係していなかったとしても、「一部を会社として応援できる」と思えれば、「いってらっしゃい」と送り出しやすくなる。
すべてが「三方よし」にはならないかもしれませんが、「会社が投資してよかった」とみんなが実感できるような設計がされていれば、再現性のある成功につながるのではないかと思います。

Hiro
ありがとうございます。少し抽象的になりますが、やはり「良いエネルギーは、良いエネルギーの場からしか生まれない」というのは本質だと思っています。逆に、ネガティブな空気に引きずられると、どうしても全体が「抑え込みモード」になってしまう。そうならないように、ポジティブな循環の最初の一歩をつくるのが、やはり「会社の責任」ではないかと私は思います。
本人が自ら手を挙げること、そして会社もそれを受け止めること——そのマッチングが起きれば、エネルギーの好循環が生まれる。そうすれば、「もっと貢献したい」「こんな形で会社にコミットしたい」と自発的な提案も出てきて、自然と一歩前に進めるのではないでしょうか。
いままでの状態だと、「私は頑張ってきたのに、なぜ何も与えられないのか?」というような、ネガティブなループに入りやすい状況があると思うんです。
だからこそ、「ここから先の人生を、自分の意思でつくっていく」——そんな覚悟と投資の機会を会社がつくってあげることができれば、それは会社にとっても本人にとっても価値あるものになるのではないかと考えています。

質問⑫:参加対象者の選び方と「波及効果」について
ゲスト:
先ほど議論にあった「ターゲット」についてですが、たとえば「この人が行ったら変わるかもしれない」と期待される方を選ぶという視点もあると思います。一方で、現実として企業が50代社員に予算を投じることへのハードルは依然として高い。
だからこそ、参加人数は絞った上で、インパクトが出る設計が必要だと考えています。つまり、「あの人が変わったのならすごいね」「あの人の変化が社内に広がるなら価値があるね」といった、周囲に波及していく「象徴的な変化」が生まれるような設計にしたい。
そうした「社内に影響を及ぼす人」を起点にプログラムが浸透していけば、経営側としてもコスト投下の納得感が高まるのではと感じました。その点も踏まえて、プログラムとどうつなげていくかが鍵だと思っています。

Hiro
まさにおっしゃる通りで、「あの人が変わったなら本物だよね」という声が上がるのは、僕たちにとっても本望です。過去にIWNCのプログラムを受けた方から「IWNCの人たちは心を削って伴走する」と言われたこともありました(笑)が、それぐらい深く、真摯に向き合うスタイルであることは確かです。
ただ一方で、最終的に「変わるかどうか」は私たちがコントロールできる領域ではないというのも事実です。あくまでも私たちにできるのは、伴走し、刺激を与え、気づきを促す場を整えることです。
「教えられたからやる」のではなく、自分で気づいて動けるかどうかがカギなんです。たとえば「承認」という行為も、「承認しなさい」と指示して成立するものではない。それよりも、本人が自ら承認を実感できるような刺激や関係性をどれだけ周囲にちりばめられるか—そこにかかっていると感じています。

質問⑬:「経営のメッセージ」としてどう伝えるか?
ゲスト:
このプログラムが、単なるキャリア研修ではなく、経営からの明確なメッセージとして打ち出されるなら、非常に効果が高いと感じました。
キャリア研修そのものは、すでに多くの企業が実施しています。「うちも一応やってますよ」といった形で形骸化していることも多い中で、本気で全世代に「成長と貢献を期待している」という姿勢を、経営が明示することが重要だと思います。
たとえば、「若い世代にポジションを譲ってほしい」という事実があったとしても、それを「もう用済みです」ではなく、「貢献の形を変えても、あなたにまだ期待している」というストーリーで伝える。
そこに成長実感や貢献実感、ねぎらいのメッセージがあれば、このReigniteという取り組みが「本気の経営施策」として社員に響くのではないかと思いました。

Hiro
まさにおっしゃる通りです。
理想を言えば、「自分のキャリアは自分で責任を持つ」「自己投資して当たり前」と言いたいところですが、現実として自ら一歩を踏み出せる人は限られているのも事実です。
だからこそ、その背中をそっと押す仕掛けは、企業側が用意してあげるべきなのかなと思っています。一歩踏み出せれば意外とスムーズに流れに乗れる人も多いですし、最初の「ひと押し」の価値は大きいですね。

アシュリー
私からもひと言いいですか?先日、ある大手家電メーカーの方と話した際に、印象的な事例を聞きました。
その企業ではキャリアカウンセリングの窓口を設け、「ぜひご相談ください」と社内で広報していたのですが、全社に向けて案内しても誰も来ない。ところが、「田中さん、あなたにはきっと意味のある機会だと思う。話だけでも聞いてみませんか?」と個別に声をかけると、来てくれるそうなんです。
おそらく、「誰からも必要とされていないのではないか」という漠然とした不安や孤独感がある中で、誰かが自分に期待してくれたという感覚が、その人の再スタートを支えてくれる。そういう意味で、「全体へのメッセージ」ではなく、「あなたへの期待」として届けることが、旅の始まりになるのかもしれないなと思いました。

Hiro
キャリアカウンセリングや社内支援の枠組みももちろん大事なのですが、それだけでは十分に人は動かない。やはり、真摯に伴走してくれる「コーチ」や「仲間」の存在が必要だと思うんです。信頼できる存在がいることで、人は自分の可能性に向き合いやすくなります。
また、「会社としてこの取り組みに本気で投資するかどうか」という問いもあると思います。当然、費用対効果や予算配分には賛否があるでしょう。
ただ、私はこう考えています——会社から旅立った人たちが、自信と誇りを持って「自分は〇〇社で働いていた」と語ってくれる姿こそ、企業ブランディングの理想形ではないかと。
たとえ会社内で困難や課題があったとしても、その人が自らの意思で立ち上がり、新たなステージに進んでいく。そんな前向きなストーリーが、その人にとっての人生の資産になり、会社にとっても「誇れる出身者」として残るのではないかと思います。
たとえば「費用負担をどう設計するか」も一つの論点になります。早期退職金の一部を活用する、会社が7割負担するといったような、柔軟な制度設計によって「支援と自立のバランス」を取ることも可能ではないでしょうか。
また、私たちが設計しているReigniteプログラムのゲート(ステップ)は、どこかで「自ら手を挙げること」が絶対条件です。「全員参加型」で強制的に受けさせるような仕組みにはしても意味がない。むしろ、本人のWillが何よりも大事なんです。
「シニア社員300人をまとめて流し込む」ような導入は、結局誰も本気にならず、成果にもつながらない。だからこそ、自発的に手を挙げた人が、徐々にプログラムに参加できるような柔軟で開かれた環境を整えることが鍵になります。
しかもそれが、社外の異なる企業の人々と混ざり合う形になれば、よりダイナミックで本質的な変化が起きる可能性も高い。私たちは「ウィルパワーの森」という構想も進めていますが、これはまさに、意思ある人々が集まり、相互にエネルギーを与え合う共創空間のイメージです。
ぜひ、こうした構想に対しても皆さまの知見やアイデアをお借りしながら、一緒に形にしていけたらと願っています。いかがでしょうか?

質問⑭:早期退職者たちのその後に学べること。
ゲスト:
私の前職は製薬会社だったのですが、早期退職制度が積極的に活用されていて、いわゆる「手を挙げる」文化がかなり浸透していました。とくにMR職や研究職の社員は、自分の10年後を見据えたときに「このままでは厳しいかもしれない」という危機感を抱いていたようで、MBAや中小企業診断士の取得、ビジネススクールでの学びに自己投資する人が非常に多かった印象です。
辞めた後の彼らと集まって話をすると、「NPOを立ち上げた」「医療コンサルを始めた」など、それぞれが自分の軸を持って楽しそうに働いている姿がありました。社外には「辞めた人たちのコミュニティ」も自然に生まれていて、在籍時には実現しきれなかったけれど、退職後にそれぞれの人生がうまく回り出しているようにも見えました。彼らは皆、自ら手を挙げた。そこにヒントがあるように思います。

Hiro
おっしゃる通りですね。私も、早期退職の制度を「選択肢」として活かし、自ら道を切り拓いていく人たちは、実際にポジティブな変化を遂げていると感じます。そういう意味で、「会社が背中を押す仕組み」として早期退職や自立支援を用意するのは意義あることです。
一方で、私が危惧しているのは、「なんとなく残って、なんとなく動かない」ままの状態で時間が過ぎてしまう人たちの存在です。とくに、自分では動かずに「評論家」のようになってしまい、いざとなるとアクションを起こせない——そんな姿をよく見かけます。
そのような人たちに対して、どう「自分ごと」として物事を捉えてもらうかが、今後の大きな課題だと感じています。
だからこそ、Reignitionのようなプログラムでは、ただ機会を提供するだけでなく、「自らの意思で火を灯し、動く」ことを促す導線をしっかり設計していく必要があると考えています。
ミチルも何か話してくれる?

ミチル
先ほどのご意見を聞きながら、私自身も強く共感していました。「この人なら変わるかも」と期待されて声をかけることは理想的だと思いますし、一方で、「誰でも変われる可能性はある」という視点も大事だと感じています。だからこそ、「誰にでも手を挙げるチャンスがある」プログラムの設計も、あっていいのではないでしょうか。
たとえば、外にチャレンジしたい人、中で頑張りたい人、それぞれいると思いますが、共通して必要なのは「ウィル」。そのウィルを持って自ら手を挙げた人をきちんと受け止められるようなプログラムが大切だと感じています。
私はコーチングをしているのですが、いま一定年齢以上の方々がスクールに通ってコーチングを学ぶケースが非常に多いんです。100万円単位の自己投資をしてでも「何かを変えたい」と思っている。それは、「自分自身にまだ期待している」からなんですよね。
ただ、中には「資格を取ること」が目的になってしまう人もいる。でも、資格だけで何かが劇的に変わるかというと、そんなことはない。だからこそ、「もっと本質的な何かがあるよ」ということを伝える場や機会が必要だと思っています。
そしてこれは、私自身も年齢を重ねて感じることでもあるのですが、今の日本社会全体が高齢化している中で、このテーマは一部の人に限ったことではなく、むしろ多くの人に関係する話題なんだと改めて思いました。
